EYE KNOW

福岡在住B-BOYの音楽・映画・スポーツに関心を寄せて過ごす日々の観察記録

2017 グラミー後記・感想 雑感爆発

Adele主要部門三冠

 本エントリを書くにあたっては、前のエントリにて書いたことを前提としたいので未読の方はお手数ですがそちらを先に読んでいただけるとありがたいです。↓↓

 

nino-brown.hatenablog.com

 

今回のグラミー受賞結果、主要4部門は以下の通り

 

Album of the Year(最優秀アルバム賞)←アルバム演奏者および製作チームに授与。

 

Adele – 25

 

Record of the Year(最優秀レコード賞)←シングル曲演奏者および製作チームに授与。

 

Adele – Hello

 

Song of the Year(最優秀楽曲賞)←シングル曲の作詞者、作曲者に授与。

 

Adele – Hello

Best New Artist(最優秀新人賞)←この1年で著しい活躍をみせた新人に授与。

 

Chance The Rapper

結果から言うと、アデルが主要部門に関してノミネートされたものは総ナメ、HIPHOPのアーティストからはチャンス・ザ・ラッパーが新人賞を受賞。筆者の予想的中率は五分五分という何とも中途半端な結果になりました。まあ、予想が当たったかどうかなんてどうでもいいんです。どうでもよくなるくらい今回のグラミーは考えさせられるものだったと思います。

 

今回のグラミー、筆者は幸運にもリアルタイムで、なおかつ”wowwowぷらすと”のソーシャルビューイングでの解説つきで見ることができたわけですが、感想として言いたいことが100個くらいあります。100個くらいあるんですが、それぞれが矛盾していたり不確かな直感であったりするので整理するのがとても難しいです。それでも、自分なりに今回のグラミーの感想と今後のグラミーがどういう意味を持つのかついて書こうと思います。

 

 

今回のグラミーが抱えていた背景

 

 まず最初に、大きな保険をかけておくと「アデルは主要部門の三冠にふさわしくなかった」などということは1ミリも思っていません。楽曲としての"Hello"やアルバムとしての"25"はどちらも素晴らしい作品であり、グラミーを獲得しても何も不自然のないほど高い出来であるということは全世界の共通認識だと思います。それでも、それでも今回は主要部門の中から1つだけでも良かったのでビヨンセにあげて欲しかった(特にアルバム賞は)。グラミーが今後もアメリカの最も誉れ高い音楽賞であり続けるためには、ビヨンセの受賞は重要なことだったと思います。それゆえグラミーの今後の方向性を好ましくない形で決定付けてしまってような印象を受けてしまいました。では一体なぜ筆者がそう思うのか、ということなんですがそれにはまず今回のグラミーが抱えていた背景を説明しなければなりません。

 

 

 前エントリでも少し触れましたが昨年最優秀アルバム賞をケンドリック・ラマーが逃したとき、筆者は深く落胆しました。それほどアルバム"トゥ・ピンプ・ア・バタフライ"は突き抜けた素晴らしさを持った作品でした。深く突っ込んだ解説は調べるとそれなりのものがすぐに見つかると思いますので是非調べてみてください、筆者からものすごく端的にコメントさせてもらうなら”音楽的にも間違いなくヒップホップのネクストレベルに踏み込み、メッセージそのものやその表現方法に至るまですべてが強烈で象徴的な傑作”です。ヒップホップ史のみならず音楽史に刻まれる作品と断言できます。そんな作品が昨年のグラミーでテイラー・スウィフト相手に賞を取り逃がしたのです。

 

テイラー・スウィフトはみなさんご存知だと思いますが、彼女のアーティストとしての出自がカントリー・ミュージックであることはあまり知られていません。付け加えて、テイラーの生い立ちはとても恵まれていて、裕福な家庭で乗馬なんかを嗜みながらのびのびと育っています。コンプトンでドラッグやギャングに囲まれながら生まれ育ち、ラップの才能を開花させたケンドリックとは対照的と言えます。テイラーの作品"1989"について悪く言うつもりはありませんしウェルメイドなポップアルバムとして評価もできるとは思いますが、音楽ジャンル/人種/貧富いろいろな面で対照的な二者の間でグラミーがテイラーを選んだことは大きな波紋を呼びました。ただでさえヒップホップ作品がグラミーを獲ることは難しいとされている中でケンドリックの傑作も獲れなかったという結果によって、フェアではないとグラミーを見限ったアーティストも出てきました。今年のグラミーを欠席した、ドレイクやカニエ・ウエストやフランク・オーシャンがその例です。

 

もう一つ触れておかなければならないことは、近年のアメリカの人種問題についてです。アメリカでは人種問題はいつの時代でも議論される永遠の課題ですが、2012年に当時高校生だったトレイヴォン・マーティンが警官によって射殺される事件が起きて以降”ブラック・ライヴス・マター(黒人の命の問題)”に関する運動が盛んになりました。そして昨年もそのデモ活動の中、警官との衝突により2名の黒人男性が警官に射殺されるなど悲しい事件が今でも後を絶ちません。こういった人種問題の”リアル”がアーティストの楽曲の制作活動の動機になり、そういう歴史的文脈の中で昨年ノミネートの"トゥ・ピンプ・ア・バタフライ"や今年ノミネートのビヨンセの"レモネード"が生まれたことに疑いの余地はありませんし、そういった作品をノミネートにあげている時点でグラミーもこういった問題と決して無関係ではありません。

 

今年新大統領に就任したトランプ氏の言動もときにこういった問題を少なからず刺激していることから、昨年ケンドリックがグラミーを取り逃がしたことに落胆し、今年こそはビヨンセが獲るだろうと期待していた人々はたくさんいたでしょう。現に最優秀アルバム賞の受賞スピーチでアデル本人が他のノミネートされたアーティストはそっちのけでそのメッセージやクオリティの高さからビヨンセこそふさわしかったと言及していることが何よりも象徴的でした。

 

blogos.com

 

グラミーの本質

 このような背景から今回のグラミーの受賞結果は多くの人々を落胆させ、現に米メディアでは”白すぎたグラミー賞”や”グラミーの抱える人種問題”などという穏やかではない見出しが並びました。では本当にグラミーが人種差別的かどうかということですが、筆者は必ずしもそんなことはないと思っています。

 

現に今回最優秀新人賞はチャンス・ザ・ラッパーが獲っているわけですし、昨年のケンドリックや今年のア・トライブ・コールド・クエストの授賞式でのライブパフォーマンスを認めている時点で少なくとも直接差別的なポリシーは一切ないと思います。「でも結果がメタ的に差別構造を露見させているじゃないか」という方も多いかと思いますが、これについても筆者自身は否定的です。前エントリの”グラミーの傾向と対策”という項目で書いたことですが、グラミーは”白人に賞をあげたい/黒人に賞をあげたくない”のではなく”誰かにとって角が立つ、物議をかもすような作品を避ける”傾向があるのだと思います。

 

審査委員の投票によって結果が決まることから口裏を合わせているわけではないですが、1万3000人と言われている審査委員のNARASの会員の中にそういった雰囲気があるのではないでしょうか。NARASの会員が”いかに高齢で、いかに白人が多いか”知る由もありませんが、伝統的なジャンルが強く、強烈なメッセージを持つものを避けるグラミーの傾向が昨年・今年と続いて音楽ファンの”民意”とは異なる結果を出してしまったわけです。

 

これは筆者の感覚ですが何か直近の大統領選挙のことを思い出しました。先のアメリカ大統領選挙はトランプがヒラリーに圧勝となったわけですが、いざ大統領に就任するとその支持率は46%と過去最低です。このミスマッチには選挙方法のカラクリが働いているといいます。この大統領選、実は総得票はヒラリーの方が200万票も上回っていました。しかしながらアメリカ大統領選は選挙人制度があり総得票数は選挙結果と無関係です。州ごとに票を集計し、ほとんどの州が1票でも多く得票した候補がその州の選挙人をすべて獲得する「勝者総取り」方式なのです。カリフォルニアやニューヨークなど都心部ヒラリーが勝ったわけですが、中央部などはトランプが圧倒的で結果的に五大湖周辺の地域を制したことがトランプの圧勝つながったと言われています。

 

話が大きく逸れましたが、この選挙制度”グラミーの受賞結果と民意の間にズレがある構造”に少し似ているのかもしれないなと思ったわけです。カントリーミュージックが根強い人気を持つアメリカ中央部がトランプを支持し、そんな音楽ファンに支えられながら世に出たテイラーが大統領選で特定の候補者の支持表明を避けていたことにも色々な事情が垣間見える気がしてなりません。先ほどから肌感覚の話になってしまい申し訳ないですが、もしNARASの会員のほとんどがカリフォルニアやニューヨークで生活しているのであれば受賞結果も変わっていた気がしてならないのです。大統領選と同様に地理的な温度差をもグラミーは包括していると考えれば、傾向に基づく受賞結果も不思議でないように思えます。

 

今後のグラミー

 いろいろ書きましたが、昨年はケンドリックが逃して物議を醸した上で今年ビヨンセが獲れなかったことでグラミーの強い意思表明のようなものを感じました。「周りがどう騒ごうがグラミーは変わんねえぞ!」みたいな。宇野維正氏がぷらすと内で「グラミーは批評でも売り上げでもなくて権威なんだ」というようなことを仰っていましたが、まさにその通りだと思います。しかしながらその権威が2年続けてケチのつく結果を出してしまったことで今後その存在価値が問われることは避けられません。権威は信奉されてこそのものです。黒人アーティストをはじめとしてボイコットやノミネート提出回避が増えていけば音楽賞そのものが無価値になります。残念ではありますが今後そうなっていく可能性は十分にあると思います。MTVのVMAやAMAなど他にも音楽賞はありますがいうまでもなく現状のグラミーほどの権威はないだけに、今後アメリカの”音楽賞シーン”が大きく変化していくことが予想される中でどういった変遷を辿るのか見逃せません。グラミーに関して、その受賞結果と同様に授賞式内でのライブパフォーマンスは重要なことだと思いますが、個々のライブパフォーマンスの持った意味や解説については筆者ではキャパオーバーなので良質な文章が現れるのを待ちたいと思います。最後に今回のグラミーの可哀想な人を可哀想だったポイントとともに紹介して終わりにします。

 

  • アデル(栄えある主要部門三冠に関わらず素直に喜べない)
  • ビヨンセ(最高な作品最高なパフォーマンスをもってしても受賞できず)
  • リアーナ(期待させておいて何も起きず酒飲むとこだけ撮られる)
  • チャンス・ザ・ラッパー(白人に懐柔された印象を持たれる可能性)
  • ケイティ・ペリー(メッセージ性の強いライブパフォーマンスもどっちらけ)
  • ジェイ・Z(ビヨンセの受賞を見越して制作していた楽曲のちょいスベり感)
  • ジェイムズ・ヘットフィールド(マイクはいらず)

 

まあチャンス・ザ・ラッパーに関して、プロップを下げるんじゃないかという不安は杞憂だと思います。ツアーチケットの売れ行きも爆発的のようですし、何より本人の今後の楽曲制作でそんな不安吹き飛ばしてくれるようなものを見せつけてくれると信じています。

 

 

 

本文作成中に聴いた一枚↓

 

Her Too - EP / SiR (RnB)

 

www.youtube.com

Her Too - EP

Her Too - EP

  • SiR
  • R&B/ソウル
  • ¥1050

 歌に制作にと多彩な才能を持つSiRの新しいEP。それもそのはず調べるとSiRは音楽一家に生まれ育ったサラブレット。本作も精錬された上質なプロダクションに病みつきになるようなキャッチーさも兼ね備えた良盤。にしてもシカゴやサウスサイドが中心と言えるシーンにあって、現代の西海岸を象徴するTDEは次々に有望な才能を確実に捕まえているなあ。ウェッサイボーイアマッ!ウェッサイボーーイ♪