EYE KNOW

福岡在住B-BOYの音楽・映画・スポーツに関心を寄せて過ごす日々の観察記録

著作権とか二次的著作物とか難しすぎる。

はじめに。

 

 昨年末にかけて、ネット上では”キュレーションメディアと著作権”に関するブログエントリを多く見かけた。DeNAの件はさておき、軒並みどの文章も「キュレーションメディアの実態は著作物のパクリの温床だ」という指摘がされていた。更に専門家なのか事情通なのか良く分からない方々がそれなりに解りやすく著作権についての解説をしている。

 

しかしながら、どのエントリを読んでも筆者の理解が深まることはない。一言一句の理解を問われる法文でさえ通じていない者にとって、著作権というのはかなりハードルが高い。わかった気になることが一番危険であるかもしれないという恐れも含め、今現在も全く著作権について知った気がしてしない。

 

よって今回は、一連の著作権に関する騒動を観察した感想を阿呆らしくも無学の筆者なりに書こうと思う。通りすがりの事情通の方や、意見をお持ちの方がいればコメントいただければ嬉しい限りである。

 

引用以前の問題。

 

 著作権の話といっても、年末の話題や当ブログにも関係する範囲に限定すると”著作物の引用”の話、ということになる。それも主にネット上に溢れる画像を引用するケースである。「著作物 引用 定義」などと検索すればいくらでも解説がヒットするが、ケーススタディというか具体例がないのでイメージができない。引用元を明記すればいいわけではない、なんて文章を読んでも「ふむふむなるほど」とはならないのだ。一体なぜこうも理解が進まないのか。それは、そもそも”引用”の前に”著作物”が何かが分からないからだ。

 

思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの (法文まま)

 

著作物の定義は上記法文の通り。全くもって分からない。知りたいのは筆者がブログエントリを書く際画像をどこかから持ってくるときその画像が”著作物”に当たるかどうか、であるがこれではお手上げだ。具体例を一つ上げて疑問を鮮明にしたい。

 

例えば、福岡歴25年以上の筆者が「福岡市民が本当にお勧めできるラーメン10選」なんてタイトルのエントリを更新したいとする。(実際この手のエントリをあげようかと考えるほどキュレーションメディアやネットで検索上位にヒットするオススメは酷い)

当然読者の利用しやすさを考慮するとそれぞれのラーメンの写真があったほうが親切だ。しかし現在筆者の手元に一切ラーメンの写真データがないとする。仕方なく筆者はネットで検索してヒットした画像を転載するとしよう。このケースでも、筆者は著作権法違反をしたことになるのか、ということである。

 

つまりこのケースでの疑問は

  1. たかだかラーメン一杯を写した写真が著作物に当たるのか
  2. この文脈での転載が転載元アップローダーに被害を加えたことになるか

ということだ。

もしこのケースが著作権法違反に当たるとするならば、考えものである。今後ネット上で公にシェアするものは全て自分で撮ったものでなければならないのか。理解ある方からすれば「お前まだそんなこと言ってるのか」という感想かもしれないが、なんとも肩身の狭い思いである。

そもそも飲食店、とりわけラーメン屋で提供されたものに箸をつける前に写真を撮られるのは店主として気分の良くない方も多いだろう。それでも写真を撮る方はいるわけで、そう言った写真を"著作物"としてこのネット時代に無料でシェアすることを拒むのであればがめついと思うのだがどうだろうか。プロの写真家が自身の収入源とするため店主に許可を取り、最良の撮影条件のもと光量から何から計算し尽くされた一枚を撮るというのであれば、それは紛れもない”作品”であって筆者でも”著作物”として認識できるが多くはそうではない。

ひょっとすると、何気ない写真であってもしっかりとした”著作物”という認識を持つ方が当然であって「タダでシェアさせろなんてお前の方ががめつい」という意見の方が多いかもしれない。これだから著作権は難しい。

 

ここまででも、ただでさえ難しい著作権であるが、さらに複雑なのがある”著作物”をもとに作られる二次的な著作物があることだ。

 

二次的著作物との付き合い方。(引用後の問題)

 

 細かい定義や解釈について、筆者は門外漢であるから気になる方は調べて欲しい。ある著作物について、翻訳・編曲・変形・脚色・映画化など二次的創作によって作られるものを”二次的著作物”というらしい。説明を書いている自分でもまだ”二次的著作物”よく分からないが、ほとんどがサンプリングという手法を製作過程に含むヒップホップの楽曲も二次的著作物に当たるのだろう。よくアルバム製作のこぼれ話「クリアランスの関係で没になった」なんて話を耳にするが、これはアーティストが楽曲を作って売り出すまでに、レーベル・メーカー/ベンダー・プレスのいずれかの段階で著作権について問題ないかのチェックに引っかかったということだろう。大きなメーカー/ベンダーではそれなりにしっかりしたチェックに努めているのだろうが、それでも元ネタ楽曲制作者との訴訟問題は絶えない。

 

二次的創作によって作り出されるものといえば、日本では数年前からyoutubeニコニコ動画で「〇〇踊ってみた」「〇〇歌ってみた」なんてものがムーブメント化している。楽曲に対してオリジナルの振り付けを考えシェアし、人気が出ればネット上では一躍有名振り付けダンサーになれる時代だが、「〇〇踊ってみた」動画を投稿している方々が著作物使用料を楽曲制作者に支払っているとは考え難い。少し調べてみたが限りなくグレイである。

 

このようにヒップホップや「〇〇踊ってみた」のコンテンツからわかる通り、二次的創作によって生み出された文化やコンテンツは現在若者を中心に世界的に親しまれている。これらはオリジナルに対する敬意を欠いた偽物ではなく、敬意があるからこその二次的創作であり、言葉通りオマージュが形を変えてできた文化やコンテンツと言えるだろう。

 

筆者はキュレーションメディアの著作権の問題と、二次的創作物の著作権問題は決して無関係ではなくどちらも”敬意のある二次的創作”と”敬意なき引用・盗作”との間の世界の話で、つまり問題の要は引用する側にあるように思うが、実情はセクハラのように「被害感情」が生まれるかどうか、つまり引用される側にある気もする。こんなことを考えているといよいよ分からなくなってくる。やはり著作権についての認識は法文の解釈のように難しい。

 

 

最後に。

 

 筆者の支離滅裂とも言える本文を力づくで要約すると、「著作物がそもそも何かわからない上に、時代が二次的創作をある程度許容している気がしていていよいよ分からない。」ということである。いくつもあるハテナをひっくるめて”著作権問題”になるわけで、何一つ消化しきれていない筆者は”著作権問題”について何も主張することができないことが歯がゆい。専門家でない者は理解しえないように思えるグレイゾーンをどう認識すべきか、誰か知恵を貸していただけないものだろうか。

 

 

 

 

本文作成中に聴いた一枚

 

Rael / Coisas do Meu Imaginário (RAP)

 

www.youtube.com

 

 

 

Coisa Do Meu Imaginario

Coisa Do Meu Imaginario

 

 

LATINA誌を読んで遅れを取り戻すべく駆け足で2016年のブラジルシーンをチェックしているが、素晴らしく完成度の高い一枚である。流石Emicida主催レーベル所属。